「あの人絵見ながら何考えてるんだろうな~」と考えていたら、展示のことを全く覚えていない時があります。何しに美術館行ったんだっけ。
しかしそれは、ライトな感じの美術館のとき。本気美術館のときはそんなことしている暇ありません。
先日上野で開催されていたモネ展や、4月7日までの印象派展。かじりつくように見ました。
HSPのみなさんが絵を見ながら何を考えているのか、わたしは気になります.o0
何を見たかではなくどう見たかを残したかった
風景画とか人物画とか、見たものをそのまま描いた絵画ってありますよね。
ただ見たものを残そうと思ったら、写真に撮ったほうが分かりやすい。なのになぜ絵にしたのか。
残したかったのは、何を見たかではなくどう見たかだったから、ですよね。たぶん。
当たり前ですが、2024年の私が最新のiPhone15で撮影したひまわりより、19世紀のゴッホが絵の具で描いたひまわりの方が価値があります。ゴッホがひまわりをどの角度から見て、花瓶は入れるか、背景はどうしたか、みたいな、、、ゴッホが何をどう見てたか知りたいよね~
「その時代に何があったか?」っていう客観的なことより、その時代に生きた人間が何を見て、何を考えて、どういう風に残すかっていう、「その時代にあったものをその時代の人間がどう見ていたか?」みたいな主観的なことにみんな興味津々なんですよね。笑
私たちはまだまだ生きてない
人間はいつの世も変わらない!と思いたいし、時代によってこんなに変わるのか!とも思いたい。
睡蓮という植物を見ていることは現代人でも変わらないけど、睡蓮を見て「光を描こう!」と思ったのはモネが生きた時代による影響もあったんでしょう。
「その時代の人間がどう見ていたか。」
絵を見ていると、頭の中でそういうトレジャーハンター的な旅が始まっていることがある。
人間の目を通した世界って、なんでこんな魅力的なんだろうか。睡蓮はもはや、ただの「睡蓮」としては存在できない。「”モネが描いた”睡蓮」になる。
「誰々が描いた」と主語が増えると、そのモノ・風景が古くから地球に存在しているとんでもなく偉大な存在に思える。私はまだ23年間した生きてないけど、このひまわりという植物は何百年も前からあるんだな~すごいな~となる。
わたしたちはまだまだ生きてない!絵はそんな気持ちにさせてくれる。
コメント